マリオと民生は高校受験を目前に控えた中学生。勉強一筋でメガネのマリオに対し、民生は女の子のスカートめくりの常習犯だ。それがマリオの大きな悩み。マリオは民生が好きなのに、民生はスカートめくりにばかり気が行っている。ある朝、マリオはついにキレてしまい泣きながら「民生のバカーっ」「そんなにスカートめくるの好きなの?」「ボクだって女の子だったらスカート…はけたのにィ!」「そしたら民生の…民生のためにスカートはくのにィ」と叫んでしまう。このとんでもない告白が、実はマリオのコトを憎からず思っていた民生の胸にどーんと届いてしまい、2人は密室で女装&スカートまくりゴッコすることになってしまうのだが…。民生の姉の下着と制服を着け、頭にリボンを着けたマリオは民生にスカートをめくられると考えただけで興奮し、思わずショーツの中で暴発してしまう。
これが佐野タカシの「Boys Intercourse」(アンソロジー「U.C.BOYS SECOND」茜新社・所載)のHに至る粗筋だ。文章にすると「そんなアホな」とか「そんな野郎いねーよ」という感じなのだが、佐野タカシのキュートな絵柄とノリノリのテンポで見せられると「あり得なさそうな絵空事」が強引に「愛らしいエロスのおとぎばなし」になってしまう。
佐野タカシは、幼児体型の上級生とアイドルの下級生のレズ・カップルが愛を貫き、ついには結婚してしまうという「プリティ・タフ」(全2巻・茜新社)でブレイクした。それ以降は、レズ、ショタ色の強い作品を描き続け、今や人気漫画家の一人と言っていいだろう。佐野タカシの作品の特徴は一言で言ってしまえば「可愛いアブノーマルファンタジー」である。佐野タカシの作品に毛臑の濃い男は出てこない。得意ワザは愛らしい少女同士のレズであり、キレイな女の子と女の子みたいな男の子の股間さえ隠せばレズみたいなHであり、元気だけど清潔そうな男の子と女の子みたいな男の子のショタホモだ。成熟した女や精力絶倫男や不潔なデブ少年はお呼びではない。あくまでも「お人形のように可愛い」というのが条件なのだ。普通、こうした可愛い路線をとると、物語としてのリアリティが薄れ、シラケた作品になる可能性が高いのだが、佐野タカシの場合、日常的な舞台設定を選ぶことにより、現実からの乖離をある程度避けることに成功している。佐野タカシのキャラ造形の中で一番光るのはやはり「女の子みたいな男の子」だろう。いわゆるシシィ・ボーイであり、これまでのエロ漫画の中ではほとんど主役を張れなかったタイプである。ショタややおいだって、この手のタイプは脇役や敵役がせいぜいと言っていいだろう。話の中で女の子的な役割を振られていても、ショタややおいの「彼ら」は「男の子」的であらねばならないという義務感をどこかにひきずっている。なぜなら彼らが「男の子」というローカリティを失った瞬間、その作品はただの男と女のエロ漫画の図式となんら変わらなくなってしまうからだ。そこにあえて「シシィ」を持ってくるのは危険な賭であるとも言えるだろう。股間の一点のみが男の子であるだけで心性が女の子ではショタややおいとしての旨味に欠けてしまう。その点で、佐野タカシのアプローチは見事と言える。佐野タカシはシシィをバカにしない。茶化さない。気持ち悪がったりしない。照れもしない。あるがままの個性の一つとしてそのまま認めてしまっている。直球勝負なのである。恐らく佐野自身かなり本気でシシィ・ボーイが好きなのだろう。そうしたオネスティ(正直さ)が作品上ににじみ出している。
表面上はどうあれ、佐野タカシの描くシシィ・ボーイズはディープな意味でのトランスセクシャルでもなければトランスベスタイトでもない。自分であり続けることと「女の子みたいに恋をする」ことが矛盾していない。彼らが恋するのは身近にいる女の子や男の子であり、自分の恋する対象に恋されたいと思っている。好きな人に愛される僕。これはワガママだが、誰もが秘かに持っている正直なファンタジーだろう。そのファンタジーを幼児的な言語がやさしくくるみ込む。「ボクみたいなフケツな子、嫌われちゃうんだ!!」「ボク…ボクっ、したいよォっ、花実ちゃんとHなコトしたいョ!!」(「She Loves You, Always」より。「天使か悪魔」フランス書院所載)佐野タカシは我々男が圧殺し続けてきたアニマ(裡なる女性自我)をシシィ・ボーイという形で秘かに解放する。